6.22.2009

第4話 ~生物実験~

多少長いですが、前半は真面目な話で後半は冗談です。






中国黒龍江省、哈尓濱(Harbin)。中国の最東北端でありロシアと国境を接するため位置的には稚内より高緯度という現在の僕にとっては未経験=最果ての地という表現が適当な場所。

ハルビンの歴史は意外と浅く、昔の王朝時代は大した開発もなかったようで、清の終わりごろにロシアの都合で清を突っ切ってウラジオストクへ抜ける東清鉄道の建設で偶然ここを通ったために繁栄したのがハルビンだったというわけらしい。つまり街としてはようやく100周年かな、といったところ。

ハルビンに遥遥やって来たのにホテルに引き篭もる時間を差し引くと僅か6時間しか見聞出来んかったことが今をもって残念で、殊更中心街から20km程度南下した辺りにある旧731部隊の施設見学が出来なかったことが心残りだ。

731とは何か。

満州(Manzhou)国自体の話はまた別件として興味深いが、北方戦線に向けて中国東北部を満州として割譲し、その国府が置かれたのが長春(Changchun)で軍防疫本部=731部隊が置かれたのがハルビンだったのだが、ハルビンの731部隊でナチスドイツに匹敵する程の非人道的な実験が行われていたことはあまり知られていない、というか僕も知らなかった。


簡単に紹介すると、
1941年、日本軍は慣れない敵地での前戦において交戦相手に次いで手強い敵だったのが伝染病だったという。そこで日本軍はハルビン郊外に防疫本部を置いた。
ここまでは良かった。(厳密には全て良くないが)
しかし1942年、日本軍の戦局が変わることにより防疫本部の役割を決定づけた。ガナルカナル島作戦の大誤算により南方戦線に戦力を投じねばならなくなった日本軍は資金ぶりが悪化。北に軍事物資が行き届かなくなった。そこで731部隊は安価で扱い易く且つ脅威となり得る生物兵器の開発本部に鞍替えを果す。かくして日本の頭脳が北の地に集積したが開発に際しこれといった知識的ストックがなかった。じゃあ、実験すればいいじゃないか、サンプルはそこらじゅうにわんさかいるじゃないか。

なんと生物兵器の実験台として中国人やロシア人(マルタと呼ばれていた)が用いられたのである。チフスやコレラを強制的に注射したり毒ガス入れて死ぬまで観察日記書いたりと・・・実際詳細にどのような実験かというのは別のサイトや本に委ねるとして、これは、ユダヤ人の撲滅を目的としたナチスドイツより残虐な行為ではないか?ナチスはともかく日本軍はこれ完全なる無差別虐殺だよね。しかも実験に生の身を侵すとはこの世の者とは思えない行為である。

窮地に追いやられたら手段を選ばない日本軍の行為はある意味今の北朝鮮の比じゃないと思った。これは民族自決とか切腹とかそれが美しいとする精神とも通じている気がする。実際その瞬間を目の当たりにした米軍とか連合国兵士は、なんだこのクレイジーな集団は!と思ったんだってな。
そして1945年に敗戦が確定すると、実験施設は収容していた実験台諸共吹き飛ばし、資料も焼き尽くして退散するという、そんな所で日本人の特徴である勤勉周到さを発揮しなくても、、、って首を傾げたくなるね。で、都合いいとこだけ米軍に提出して東京裁判にもかけられず。まぁ、国同士の戦争って誰が悪いって追求は事実上不可能やから裁判になったかどうかは別の問題としても、・・・セコい。

大半の事実が消えちゃったから日本の文民はよく知らずに60年生きてきたのでしょう。日本は南京のあれ以外にも重慶大空襲とか(←これ知らんかったよね?)ボロボロにやってきてんのに隠したり結果的に隠れちゃったりで自分たちをあまり悪く思わなくなってるのかな。
対する中国側も自尊心に似た古来からの中華民族の精神が働き(中国は世界の中心だという考え)、征服王朝を自らの歴史と認めたくない傾向がある。例えば1000年くらい前のモンゴル襲来は大嫌いだし、満州の国務院などにも「偽」という接頭を正式に冠しているくらい。だからあまり日本の征服行為を掘り返したくない側面もあるんだと思う。双方がそれぞれ中途半端だから歴史認識にも食い違いが出るよね。更に改竄&隠蔽なんてするからもはや真の和解は無理かと思う。ということは、意見の食い違いを認めあうことに努めた方が賢明かな。(って、自分で言っている意味が分からん)

ちょっと歴史認識の話やけど、、そういう教育(中国万歳的な)は今も健在であり、だから最近の若者が反日(中国では抗日というらしい)デモをやるのは日本が嫌いだからではなく中国が好きだかららしい。なんと、標的は日本でも韓国でもアメリカでも何処でもよくて反韓デモとか反米だってしょっちゅうやってるんだってね。じゃあ何でデモなんてやるの?と思ったら、中国って言論統制が厳しくて国民が意見を述べる場が日本より極端に狭すぎてそんなとこからくるストレス発散の場としてデモってるとか、中国のメディアは全て国家が統制してるから意見が画一的になりやすくて「あ、俺もデモ参加してみよう~!」って(意思に関わらず右に倣え的に)なるとかが原因だという。

そういうこと考えると、そりゃちょっと可哀想だなと大目に見る日本人もいるのかな、と思った。



話が反れてきたのでここで一度締めます。

明日の朝ハルビンの最低気温は-23℃らしいです。
暦害。多公冷得的天気阿!
天使のささやきでも聞こえるかもしれませんね。

731部隊についての参考↓

刺激が強い画像が多いのでこういう歴史を正面から受け止めたい人だけどうぞ。




◆◆◆




・・・あれから60年。中国が人体実験を始めた。

インゲン、牛乳、ギョーザ、どの過程で混入したかは知らないが、メタミドホスとかメラミンとかさ、僕は中国で合計12品目もコレに該当する食品を口にしていたことが最終的に判った。

これは不特定多数への人体実験ではないか!?
濃度蓄積により後年後遺症を発症する事もあるでしょう。

そんな恐ろしい報道は中国国内ではごく限られた範囲で散見されるのみ。つまり情報が貧乏で、買い漁った友人へのお土産は手元に残り、僕はその処理に困惑した。










そうだ、ホントにメラミン含有食品が有害かどうか生物実験をしよう。





(日本軍の血縁か゚Д゚(゚Д゚(゚Д゚(゚Д゚;。)













部隊は・・・いや、舞台はこの池。



兵器は


コアラのマーチ。(比較のために日中のそれを並べてある)
やっぱ中国製は手抜きだな。開け口がね。(というか日本が凝り過ぎ!)



箱から出す。
やっぱ中国製のイレモンは手抜き(笑)



比較。

中国製は印刷がザツ(笑)






大きさが大分違うね。国土面積に比例するのかな。




では実験台に登場願おう。





投与!



完遂。








兵器は実験台に対して臨機応変に改変しなければならない。
そこで、、


グシャッ





投与!


完遂。






じゃあ、一応実験台に対してネタばれで。







メラミン入りでした~~~~!!










逃げた(笑)








数日後、池の周囲で凄惨な光景が広がっていました。(というのは冗談ですが・・・)


終。










念のために注:実験に用いたお菓子に含有された可能性のあるメラミンは人体及び動物に害を及ぼす量とは程遠いので安全だということが化学的に証明されています。

6.14.2009

第3話 ~又好又快~

又好又快とは中国で俗に、量より質、という意味を表す言葉である。

この言葉には経済成長の著しさを冷静な視点に立って俯瞰することにより、「成長」から「発展」にシフトしていこうとする意気込みが内包されているという。

僕が北京を訪れた理由のひとつに成長目覚しい北京の“イマ”を観ることが予ねてからあった。数ある写真の中から今回の日記には最新の建築を中心に載せてみる。
だが、結論から述べれば、実際に僕の目には爆発的に成長し続ける北京の姿しか映らなかった。

それでも思ったことは、毎回毎回中国に対する皮肉では面白くないので、今回は中国人と同じように同一個夢想をもって書いてみようかな、と。


北京市には4回も出入りしたが、実質北京にいたのは2日間に過ぎず、満足のいく見物が出来んかったことは否めないが、腹コワしながら撮った北京の最新建築を自分の好きな順にランキングしてみた。

注意:ここに紹介する以外にも優れた建築は数多あるが、ここでは最新建築に焦点を絞っている。





では、10位から。








第10位 建外SOHO(2004)

日本人の山本理顕が設計したのでギリ10位に入れた。
住宅とオフィスが空間的にダイナミックに錯綜する近未来都市の提案。世界の新興都市でこの手の開発が盛んで、北京もあちこちで建設されている先駆けが建外SOHO。個人的にはこんな冷徹な空間構成が嫌いだ。
訪問が夜なので写真が悪いので昼間の写真をweb上から拝借した。








第9位 水立方(国家水泳センター)(2008)

北島がきもちよがったところ、以上。


だといかにも不案内なので・・・
外から見てもプレハブかなんかっぽいんやけど、実は透明な屋根から太陽エネルギーを吸収、照明と暖房に利用しているらしい。皮膜にはETFEピローを用い、音を透過させるため、内部音響効果には優れる設計。基本的に水泳場と言うのは音に対して硬い物質である水で覆われているため音が増幅されがち。そいつへの対応策なのだ。水玉模様は近くで見ると案外でかく、ひとつ7.5mにもなる。その内部に光量調整の小さなタマが入っているうえ、シルバーや青など時間や天気によって最適で幻想的な輝きを放つ。

(建築ノートより)




第8位 盤古大観(Panguプラザ)(2008)

オリンピック会場近くにあるホテル。
最南端のビル上部が聖火のようにメラメラしている。それ以外は平凡でドンガラ目新しさはない。五輪終了直後に価値がさがりそうな悲しき物件。




第7位 数字北京(デジタルベイジン)(2008)

オリンピックのコントロールセンター。
外観はマイクロチップをモチーフにしたらしい。
そんなものをモチーフにするデザイナーの心に投票したようなもの。
横から見たら薄くスライスしてあって、内部空間は乏しいんじゃないの?と思った。





第6位 世貿天階(2006)

永安里にあるショッピングプラザ。
なんといっても頭上6階程に位置する30×250mの巨大スクリーンが目を引く。それ以外には建築的には見所どころか、ヒトの心理学的行動パターンを当てはめると散りばめられたモジュールが欠陥だらけってことが浮き彫りになる、絶対!!ま、ま、それは後日述べるとして、とにかくスクリーンに釘付け!!






ここで休憩して、ランキング圏外の建築を紹介。






○昌平体育館(2007)○

昌平区の体育館。鉄骨の屋根を乗せるという、大胆な手法のヘンテコドーム。自慢の屋根はマンガンマグネシウム合金らしい。


○Ascottグループ東直門ビル(2007)○

こういうキラキラしたビルがぼっこぼこ建つ北京は文字通り輝いている。でも、あまり面白みはないよね。


○当代MOMA(2008)○

上層階が繋がってるんやけど、通りすがりのためこの写真では分かりにくいが、実は回廊になっていて新しいカタチの住スペースを生む。居住予定者は専ら30代の夫婦+小皇帝( ̄д ̄)(と呼ばれる一人っ子)。文化大革命以前の世代には理解できないんじゃないかな。

web上より。











ランキングに戻って、


第5位 北京南駅(2008)

北京五輪の中国国内の玄関駅。
天津からは勿論、上海とを結ぶ新幹線も今後ここに入線する予定。その頃には年間2.7億人の利用を見込むらしいけど、2.7億って、一体・・・。31haの敷地も、駅としては世界一ではなかろうか??中央駅としての役割はドイツW杯んときのベルリン中央駅と似ている気がするけど、日本の東京駅なんかとは何か根本的に違う気がするなァ・・・。
中の写真だけじゃイメージわきにくいので、コンコースに掲げられた鳥瞰図でも載せとこう。









第4位 国家大劇院(2008)

天安門前に降り立った卵型の宇宙船。
のようなカタチをした3つのホールを備えた劇場。
横から見ると途中で意匠がが変わるので開閉式かと思ったが生憎、違った。奇を衒ったわけではないが、美しくデザインできていると思うし、柱が一切ないというのはちょっと信じられない。









第3位 鳥の巣(2008)


どんなに頑張っても公安によって制されこの写真が限界。
言わずと知れたオリンピックのメインスタジアム。
鳥の巣とよく喩えられるが、元々は骨董の壷をモチーフにしたという。遠めには計算しつくされたジオメトリに基づいて設計されたかのようにも見えるが近づくとその奇怪な3次元造形の何処が理論的なのか、はたと消えてしまう。実はフレームを支えているものは外周を取巻く24本の柱であり、それ以上にラインが多くなっているのはフレームワークの単調さを掻き消す為に態と錯綜したライン構成を演じているらしいのだ。
ちなみに全て1.2×1.2mの角材鋼管である。









第2位 CCTV ヘッドクォーター(2009)

CCTVは中国国営テレビ。日本例えるならフジテレビ本社とかでしょうな。
これは未完成。しかも豪雨の夜に行ったので写真と呼べない代物しか紹介出来ないのでCCTVの公開する画像で。



まず、見た目が錯覚絵図みたいで100点。
それを実現しようとするんだから、もう力学を覆すってことになりそうで、何かワクワクする。

・・・この手の建物で最も大変な作業は何か。
左右対称に製作した2本のタワーを中央で溶接することである。
溶接要員は2つの相対歪を限りなくゼロにする必要があるからそれは困難を極めた作業になったはずである。例えば、向きが違うのでそれぞれ異なる風の影響があるわけで、、、って、考えただけでその異端ブリが手に取るようにわかっちゃうわ。










第1位 北京首都国際机場(2008)

北京オリンピックに合わせて拡張された首都空港の第3ターミナルビル。
やっぱ、何かね、1位ってバランスに優れたものにあげたくなっちゃうんだよね。説明することが色々有り過ぎて面倒で割愛なんやけど、デザイン、規模、環境技術とか全てひっくるめてこれが最も優れた建築だろうと。
どこまでターミナルなの?っていう一枚屋根は100万m2で世界一。
ってのは第3ターミナルの話で、これだけで成田並なのにそれがあと2つも1~2km離れた場所にあるんだから移動が大変。国際便は概ね第3ターミナルしか使わんらしいので、日本人はここだけ知っていればいいのだが、僕は中国国内便もバンバン使ったので2タミと行き来することがあり、広さに圧倒された。
せっかくなので内部や外側の写真も載せちゃえ。






以上、夢に溢れた「イマ」の北京でした。

6.01.2009

第2話 ~王の始まり王の終わり~



さて、舞台は中国陝西省西安の東郊、臨潼にある秦始皇帝陵です。
特に前知識はなかったし別に必要もない。ただ秦の時代の始皇帝のお墓というだけのこと。実際に地下宮殿が公開されとるわけやないけん日本人観光客からの人気は高くないはずである。


これは入り口付近。


◆◆◆

秦始皇帝陵を最近テレビで観た人がいるかもしれない。
ニュースに出ていた論点は日本の古墳と比較してのあれこれ。
秦始皇帝陵は500m×500mという巨大な墓で、ピラミッド、古墳とともに世界三大陵墓とされ、古墳以外の二つが世界遺産に登録されている。

では何故日本の古墳、その最大規模である仁徳天皇陵が世界遺産に登録されないのか。最たる理由は二つある。1つは、仁徳天皇陵とみられる、と教科書に書いてある通り確定されていないこと。2つは、天皇という神格化された存在であるため陵墓内の詳細な調査がなされていないこと。2つ目の理由が1つ目に繋がっているとも言えるが。

確かに、ピラミッドや定陵だってクフ王とか始皇帝という神格化された存在が眠っている場所である。しかし、この先が国によって考え方の異なる領域であり、為政者の墓をおこして調査をすることもお国のためになる、か否かという問題がある。日本はここに消極的だったのでしょうな。
だから仁徳天皇陵は世界遺産になれないんだよ、というニュースを先日観た。

神格化と言えば、スポーツの世界も然り、例えば長嶋元監督は終身名誉監督とかいうある意味神格化された称号を得ている。長嶋さんはこれをどう受け止めているのか?僕だったらそんな固くて重い称号は拒否するけどな。最近は王さんだって徐々に神格化されつつあるけど、、、

◆◆◆


秦始皇帝陵、その入り口に守衛がボーゥッとつっ立っとったが、タイの守衛より随分カジュアルでニヤニヤしているやつばっかし(笑)




どんな反応するかと思って、偶然手元にあったビックカメラのうちわでも連れに持たせてみた。





なんだ、これは無表情で済ますとやって!




秦始皇帝陵は始皇帝の死後70万人を動員して100m以上の陵墓として築き、現在は風化で随分低く(40m)なったが、それでも今尚地下30mの宮殿内に始皇帝が眠っていると言われる。
その墓を掘り起こそうとして無数の仕掛けにやられそうになっちまうって映画が最近上映のハムナプトラ3というわけ。

壮大な歴史の割りに実際に行ってみると何もないトコロ。



10分くらい山登りしても霞んだ見晴らしだし、


何もねぇ・・・。
途中両サイドのランドスケープは今やざくろ畑になって・・・ってか、王の墓で果樹栽培していいと(((ノ゚Д゚)?




これはこれは熟しすぎたザクロ。濃厚ジュースが出来てる(キモっ)。


だもんだから30分くらいでオイトマすることにしました☆


でも1つだけ忘れられない出来事が起こった・・・


話は戻って、登りの階段での一幕・・・

キコロ:(おいおい、前の遅いヤツ邪魔やな。)

ショルダーバッグ担いだ男を抜こうとするとき、僕の目にMarinesの文字が飛び込んできた。(写真はないけど・・・)



あ、ぁ、・・・これは・・・



















◆↓ここから9月7日の回想録↓◆


この日僕は王監督も今年いっぱいだなと思って福岡ドームへ足を運んだ。プレーオフ進出を占う上で大事なロッテ戦。先発は和田。



その和田が1回に先頭打者からの3連打を浴び、結局2失点。
これがヤな予感の始まりだった・・・。




ロッテファンの大合唱。




中盤、ホークスは本多が大活躍。同点に追いついて更に滅多に脚光を浴びない小久保の2塁打もあって8回に6-2とした。通常ならばこの点差は安全圏である。




今度はホークスファンの大合唱。




それでもパッとしない顔した小久保。
おめでとー


そしてありがとー




ところが、である。

9回表、ロッテの橋本とかいう年寄が出てきやがって、同点満塁ホームラン打ってまった。


何だよこのゲーム・・・



またまたロッテの大合唱。ラララーララー♪




ロッテ、選手変えすぎだろ(怒)


一挙にふりだしへ戻り、


松中もダメ・・・。



けっきょく・・・
延長12回にズレータが無常のホームランで締めくくるという、悲惨な試合であった。


ついでに城所の、、元から低い打率がみるみる下がっていくのも痛烈であった(うぇ)。





ホラホラ、仕舞にゃキタキューの市外局番みたいなことになっとるわ。












この敗戦がいかに痛い黒星となったか、
この試合で負けたことで、
○4位に後退(ロッテと入れかわる)・・・以後ずっとBクラス。
○勝率が5割を切る(以後切りっぱなし)
○ロッテとの対戦勝率も5割を切る(以後ロッテ戦は全敗)

今振り返るとこの9月7日のロッテ戦は王監督の終りを決定づけると言うか象徴する試合だったと言える。ここでの敗戦は最終的に最下位としてオワったことに多大な影響を与えているでしょう。












ここまでを踏まえて再び9月14日、
この苦い経験が脳内に焼きついている状態で、まさか、中国は西安市臨潼にて眼前ににっくきロッテが出現するとは思わないだろう。


あまりに突然の出来事で、彼を抜き去る際、僕は思わず声を漏らしてしまった。



キコロ:「おい、千葉ロッテ!!」




ロッテ:「え?今千葉ロッテって聞こえたんだけど・・・」

と、声を上げ連れに訴えていた。
彼は、まさかここで「ロッテ」どころかニホンゴすら聞くとは思わなかったでしょう。


( ̄ー+ ̄)
僕は、ホークスが抜けなかったロッテを抜くことが出来て優越感に浸りました。
しかも抜いた場所が秦始皇帝、すなわち王の始まりの場所で、王の終りに一矢を報いた、と勝手に思い込んでいます。

そう、タイトルの意味はここにあります。


ホークスファンのみんな、やったぜ(笑)!!



と言っておいて、どういう因縁か、僕は来年から千葉県に住むことになっているので、嫌が王にも・・・もとい、嫌が応にもロッテファンの洗礼を受けることになるでしょう。

実はロッテファンの飛び跳ねる応援とかヤらしい攻撃とか好きやけん来年の今頃はロッテファンになっとるかもしれんね。

バレンタインBANZAI!!




(まさかのシメ)