※異常に長いので時間のある時に読んでね。
僕は2008年9月に初めて中国を訪れた。
一応ホテルは取っていたが、行く場所などはノープラン。
11日間あっちこっちを彷徨っていた。
その中国で最も鬱だったとき。
それは関節痛と後頭部にキていたときではなかった。
自分の中で更に苦痛だったのは北京でホテルの場所が分からず迷子になっていた約3時間の間。
えっ?迷子!?みたいに思われるかもしれない・・・。
確かにこの時は既に700万人レベルの都市を3つ周遊した後だったし、北京は通過含めて3回目の来訪であったため、概略的な位置関係は把握しつつあり、そこに自信も感じるようになっていた頃である。
それが何故・・・?
街中に溢れ返ったウソにやられたのである。
それまでの1週間も500回程ウソを見聞きしたが、この時は3時間の間に100回くらいウソに出会ったため、さすがの僕も取捨選択に失敗し、お陀仏。嗚呼、情報化社会・・・。
その3時間の記録を紹介する
北京の東直門(Dongzhimen)。
ここは机場快線という、首都空港に向う電車の発着駅であり、僕の印刷した地図によるとホテルはここから約2kmの位置にあるらしいので、タクシーで向うことにした。
タクシーを拾う。
おっちゃんに地図を見せてここ行ってと頼む。
ところがおっちゃんはイヤイヤって首を横に振って断る。
「俺はあっちの方へ行きたいんだ。」
といった感じで別の方向を指すおっちゃん。
チッ。
でも断った理由がウソだとすぐにわかった。
北京のタクシーは2km10元が基本で、多分基本料金で収まる距離であったため、あまり儲けになんねーや、っつう感じで断ったんやと思う。そういうケースは2~3度あったので多分それだと薄々感じたのであった。
荷物が約8kgと重いので地鉄(ditie)と呼ばれるsubwayに乗車し1駅だけ接近して東四十条(Dongsishitiao)という駅で降りる。
(ここで違和感を感じたのだが・・・というのは東四十条等の環状線沿いは新たに開発された区域であり、中国の伝統的なホテルが立地するには不自然な気がしたのだ。)
そこでまたウソが発生。ホテル方面のCだかD出口に立て札があり、因為奥運とかどうとか書いてあって、禁止通行になっていた。
なるほど、その方向には工人体育場というオリンピック会場の1つがある。テロ警戒して地鉄から直の流入を阻止していたのでしょう。中国政府の異常なまでの警戒具合を考えると納得だが、1つハッタリかましている。
オリンピックはとうの昔に、パラリンピックだって昨日終わってるんでいい加減使わせて下さいよ。
抵抗しても無駄だったのでA出口から出る。
地上の道路は都心環状2号線だったため、対角線側まで500mも歩かなくてはならず要らんエネルギー消費を被った。
どちらを見ても威圧感たっぷりの高層ビルなので近くの地図で自分の居場所を確認してみた。
あれ?環状線から随分離れ・・・
・・・出タ!!真っ赤なウソだ(爆)!
手書きで修正したくなったが、公安がじっと見ていたので已む無く自粛。
本当は、
ここなんです。約500mずれてて、あぁ、作った人はここに設置しようとしたかったんやろうけど、貼る人が間違ったのかな、と1人で納得。マネージャーは確認作業を怠るな!
ここが奥林匹克会場の1つ、工人体育場の小さい方のスタジアム。奥にもっとでかくてキレイに改修されたものが存在する。
んでもって、ホテルの場所は、手元の地図によるとここのはずなんですが・・・
専業港・・・?本格的香港鍋のお店でしょうか?香港の鍋は辛いと聞きますが、ということはどうでもよくて、奥には交通銀行やし、全く中国の伝統的スタイルのホテルがあるようには見えない・・・。
10分ほどこの区画を見回したが、はい、無理。入り口に警備員のいる英会話学校とマンションしかなかったのじゃった@( ・ェ・)@。
英会話学校の警備員にこのホテル知らん?と紙見せて聞いてみたが、知らんと言う。やはり地図が間違っていたのだろうか。
ホテルの住所は「東四十条37号」となっている。
一応東四十条通りから一歩入ったところなので、大それちゃないな、と思っとったんやけど、セブンイレブンの住所表示を見て、ハッとした。
なんと、区が違う(笑)
ホテルは東城区、ここは朝陽区である。
ここへきて最大のド嘘に嵌ったのか。
セブンイレブンに売っていたMappleで確認。確かにこっから500mの位置に東四十条という地名が帯状に並んでいる。
ということは、東四十条駅より西側なんだな、と思って移動を決意する。
~~東直門に着いてから1時間経過~~
再び東四十条駅に戻ってきた。
完成して間もない中国保利集団という日本の佐川急便と手を組む企業の立派なビルの前を通ると、住所に東四十条が現れた。
(余談だが、佐川が中国で強いのは保利集団の手柄。)
その先に南新倉特色文化街という、明代かなんかの趣きをモティーフにした美食の街が、年明け早々に出来たはずなんやけど、
ビルはあるけど、人がいない、っていう、またこれもウソの情報で未完成のようなのだ・・・。
・・・それより、ホテルを探さねば・・・。
もう8kgの荷物を背負って4km程度歩いておりヘト×2である。
僕の推理が正しければ、この、東四十条大街という通り沿いの何処かにあるはずである。
この通りの北側と南側を歩いて、37号という住所を探し歩いた。
見歩く間に規則性を見つけた。
北側に奇数が並び(13から始まり、15,17,19のように)
南側に偶数が並ぶ。
ということは、北側の奥に37号があるはずである。
うへぇ、ある意味うんざりorz。下手すりゃ700m歩かねばならんけんね。
しかし、ホテルは確実に近づいていた。
19号、21号、ここでもったいぶる23-1、23-2、23-3・・・
あーうぜーーー( ´Д`)!!
25-1、25-2、・・・27、
そして、突然、
東直門南小街へと住所が飛んだ。
ウワァァァァァァ>゚Д゚<>゚Д゚<>゚Д゚<! 論理的でないが、南側に行ってみたところ、東四十条34号で途切れた。 はい、振り出しに戻っちんぐ。 一体どういうことなのか。
・・・ホテルや病院が立ち並ぶのでその裏側に隠れたホテルなのかも知れない、だって、伝統的な建築だし、表通りには面していないのが常であろう。 そう思ったが、無闇やたらに歩くと体力消耗しかねないので警備員に聞いてみる。
weiwei作戦開始!
中国語会話どころか読み方もままならないので「東四十条37号」を中国語表記で紙に書いて、警備員Aに何処かを聞いた。 (前もって説明するが、庶民は全く英語が通じないのである)
A:「(ちょっと悩んで)あっちだよ。」と東の方を指す。
え?東?そんなはずはないが、他に頼るものがないので来た道を戻ってみる。 病院を過ぎた辺りで不安になり、警備員Bに尋ねた。
B:「(即答で)あっちだよ。」と西の方を指す。
(ヽ ̄□)/ はっ!?いきなり指す方向が交錯しやがった。Aより東でBより西って、軍医病院しかないんですが・・・。 しかしながら、Bの方が即答だったので、Bを信頼してAがいた場所より西へ。 遂に朝陽門南小街という別の通りへ。この手前で東四十条が34号で終わる。 多分この辺だという確信があったので、路上で葱売りをしているおっさんCに尋ねた。
C:「道路の向こうだ。それより葱いらねーか?」
僕は「おk、ホテル見つかったら買ってやらぁ。」 と大声で日本語で言ってやった。 ・・・なんか、頼りないけん、近くの警備員Dにも聞いてみた。
D:「道路渡って、裏の方だ。」
ようやく意見の一致をみた。 やはり僕の推理通り、奇数番地なので北側へ道路を渡った方向らしいのだ。
・・・それらしき路地の奥にホテルが鎮座するのでしょう。
今度こそは、と淡い期待に託していたのですが・・・
700m歩いて とうとう東直門が目の前に迫るわ、住所が全く異なるわで、完全なる大ハズレだということがわかった。
・・・もう東四十条界隈は手詰まりである。
残る結論はあと二つ、東四十条37号などという住所は存在しない、若しくは、存在するが別のホテルか病院の敷地内にあるため見当たらない。
悲しい哉、二つの結論に共通するのは、僕が印刷したホテルの案内書類は、地図と住所のいずれもデタラメであったということ。
北京にて命運尽きる。 φ(。。)
そう悟った時、気力も尽き、路上に座り込んだ。
座り込んだ場所。
~~東直門に着いてから2時間経過~~
水を飲んで、冷静になろうと考えた。
あわよくば日本人でも通りかからんかいな、せめて英語の出来る人出て来い、とかチチンプイプイしよったけど、、、
ふとホテルの資料をよく見ると、隅っこに上海の代理店のものと思われる電話番号が記されているのに気づいた。
僕の携帯電話は世界ケータイでないので使えず、
そこらで国際電話(?)をかけてみた。
・・・日本語出来るやつ出て来い!
旅行会社E:「○※△@#・・・」
orz・・・
チャイニーズだ・・・(。 ̄  ̄。)
チチンプイプイ。
僕はJapanese!JAPANESE!と叫び続けた。
旅行会社F:「もしもし。」
(*゚▽゚)(*゚▽゚)エッーー!?
なんと日本語出来るやつがデた~~~~!
これで
助かったか。
と半分泣きそうになりながら、ホテル名告げて、今の居場所を告げると、Fは、
「そこから700mくらい南へ歩くと市民病院があるので、その向かいの道を西へ歩いて下さい。その先にホテルがあります。ホテルの向かいに交番があるので交番を見つけてください。」
(*´▽`)ありがとー!今までこんなに詳しい情報を提供してくれた人があったでしょうか。
自然と足どりも軽くなり、来た道を再び南下。
さっき道を教えてくれた警備員D及び葱売りCはもういなくなっていた。
それが僕には厭みに思えたのだが、晴れ晴れしくもあった。何故なら電話で教わった病院の横の道にもう達していたから。
・・・しかし、再び雲行きは怪しくなる。
市民病院でなく、これは軍医病院なのだ。嫌な予感が脳裏を過ぎる。
・・・、ま、ウソやったんかもしれんけど、他に病院ないし、これに間違いないはずやけど、、そうすると、“向かいの道”ってどれなんや?
軍医病院の敷地が南北に長く、該当する“向かいの道”が5本もあるのである。
ここへきて当たり1つの5本のあみだくじですか。。。
念のため、病院前でこのホテル知らないすか?とおばちゃんGに聞いてみた。
G:「この道の奥だよ。」
またか。
( ̄д ̄)明らかにウソだな。
ところが、その道の奥300m付近に公安が2~3人と、パトカーが1台いるのが目に付いた。
おぉ、よもや、あそこに交番があって、向かいにホテル!?
僕はそちらへ走り出した。
・・・交番の向かいも交番だったorz。
細い路地の割りに、交番というには大きすぎる嫌いがある建築。
そこは北京中の公安の待機所のようなスポットで、有事に際して公安が出動する巣のような場所だった。
成り行きで、公安にホテルの位置を訊くが、1度知らないと言いながら、あっちだ、と奥を指すし、奥のおばちゃんは逆だと言うし、別の女はそんなのここらにはないと言う。あと5人くらいに聞いたが、奴らのベクトル積はぶつかり合って内積ゼロ行進なので耳にタコが出来そうになった。
ウソだと分かりながら訊いている自分がバカバカしくなってきたのでもう一度上海の旅行会社に電話してみた。
すると、
旅行会社F:「もうこれ以上説明できないからタクシーでホテルへ行って下さい。よいお旅を。」
ガチャ、ツーツー・・・・
(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)(#゚Д゚)
おい、コラ!クソ野郎、ぶっ殺すゾ。
ウソというか、この国にはウソを超越した新たな言葉を作る必要がある、と思った。
そもそも意味が分からない。タクシーという手段は3時間くらい前、東直門で最初の最初に断念した手段である。タクシーで行けるなら電話とかせんわ。それ以前にあの対応、、、電話の相手が旅行会社ではない公算が強いんですが。
ここまでの3時間、紹介した以外にも総勢20~25人に尋ねまくったが、誰一人真実を口にしないのでもう誰にも聞かないことにした。
約8kgの荷物を背負って約8kmを歩いたので気が遠のきそうになるし序に俄かにお腹が悲鳴をあげ始めたけれども。
僕は中国に何か悪いことしましたか?
あなた方は日本人が憎いのですか?
もし万が一僕の顔に中国人fuckと書いてあるんでしたら、謝ります。自分では見えないですからね。即座に消して土下座して謝ってもよいでしょう。
数分その場で目を瞑って考えた。
目を開けると希望の光が見えた。ぼんやり、遥か遠く、5本目の通りの入り口に〔派出所500米〕という大きな看板があるのが。
実は自然とホテルの近くに迫っていたのか
僕はその看板がウソでないことを念じながらひたすら歩いた。
この500米は相当長く感じられた。
もう最後の500米にしたい。
そして交番を発見、向かいに・・・
あっ!?もしかして。
一瞬では飲み込めないくらいこれまた分かりにくい表記だったが、確信した。ここがホテルなんだ、と。
迷子から3時間20分。
ようやく辿り着いた。
僕は全てから解放された、もうこれで大丈夫だ、とホテルへ倒れこむように入った。
そこで、もっかい事が捩れる。
最後にして最大のウソを聞かされることになるのであった・・・
支配人が出てきて、比較的スムースな英語で以って説明をする。
取れていたと思っていた予約が取れていなかった、今満室だ、というのだ。
その瞬間今までの苦労が、映像が、ザザッっと流れ、目の前にナイフがあれば間違いなく刺し殺していたところであるが、急須しかなかったのでそれで支配人を殴ろうとした。
ところが、支配人は英語で、
「これは我々のミスです、あなた方にはもっといいホテルを用意します、そのホテルは先の7月に出来たばかりのホテルで、そこまで私が新車で送迎します、そして見ていただいてお気に召されましたら、どうぞ、値段据え置きでお泊まりください。不満がありましたら別のホテルもご紹介致します。」
という。
僕の気が変わったポイントは、7月に完成した、という点である。
あ、北京オリンピックを見に来る世界各国のお客さんのために作ったホテルなんだな、それでいて伝統建築スタイルということは本気で作ってるはずだな、だって、世界の金持ちを満足させないといけないから。
そういう論理を疲れた頭に組み立てるのは何故かチャチャッと出来た。
僕は了承した。誠意見せたし、他に手はないしな。
支配人は李さんという。
現代自動車の新型サンタフェで我々を送迎してくれた。このサンタフェ、車検ステッカーから推察するに7月に買ったばかりの新車。ホテルを幾つも所有することからも支配人は余裕の富裕層だと思った。
故宮を挟んで約7km走る間、北京の街はどんどん変わりつつあるとか、オリンピックの弊害だとか、色々話してくれたが、もうあまり覚えとらんナァ♪
着いたホテルは、話の通り、伝統的な四合院スタイルであるが、外からはホテルなのかどうかよく分からないような一種の隠れ家のようになっており、幹線道路がドロドロと走るくせして塀と門がガッチリで、極めて静寂で鳥のさえずりが聞ける程。
こじんまりとした中庭から見渡すに、部屋は10程度だった。そしてチェックインをする間に衝撃のプライスを見た。
宿泊する部屋は1泊3800元だと書いてある。
僕は不安になった。
何しろ1元約17円である。つまり1泊6万円という表記を見たのである[m:246]。
が、500元でOKという。
何故か聞くと、支配人の妻(?)のような人物が、比較的聞き取りやすい英語で、
「これは昨日までの値段です。昨日まではパラリンピック期間中だったのでお客さんも多くてスペシャルプライスでした。
しかし今はお客さん少ないし、値段も下げられます。あなた方はラッキーです。」
という。
ステキなタイミングだったようですね。
これが前日まで1泊6万円だった部屋。
皇帝か姫君のベッドみたいでプチエロティズムを感じる。
天井は燃えるような配色。
ベッドからの眺め。
バスルームはちょいとカッコいい♪
何故か書写道具がおいてあった。欧米人はすずりとか見て興奮してスリスリしてしまうんやろうね(笑)。
ちなみに後でHP見たら通常期は800元だとか書いてあった。
それでも御の字っちゅーやっちゃな。
最後に親切な嘘を食らったけん、今までのイライラも解消し、ついでに疲れも飛んじまった気がして、30分後には再び街へ繰り出していました(笑)。
P.S.葱買うの忘れました、おっちゃん、対不起(すまんね)!!
~エピローグ~
帰国後冷静に考えてみると、ウソは中国人の気質なんやと思った。
中国人は基本的に相手をもてなすことに金と労力を厭わない。
例え財政難であれ、来訪者には借金してでも豪華な食事を仕出してもてなすのが情けという。
つまり、出会った相手に大して、何かしら親切をしてやりたいという意識が働いとっちゃね。
そのせいで、たとえ知らないことでも、あれはね~とか、あっちだよ、と言ってしまう。
日本人の考えやと、それはお節介というか、んなもん通り越して厄介であるが、中国人にしてみればそれが親切なことなのでしょう。
・・・中国のコトワザに尽人事待天命というのがあったはずですが、(多分漢字の順序はコレ?)
僕は上海の旅行社に裏切られた後にこの言葉をふと思い浮かべてみた。
もう天命を待つしかないくらい追い込まれたのは、今年院試1日目終了後の心境に続いて2回目でしたね。
ともあれ、親切な嘘は国際理解の1つとしていい経験が出来たものとして頭の奥底に留めておくケド、最低公共看板の表記などは正しいものにしておいてほしいものです。
(プレイバック)
とか言って百歩譲っても、怒り心頭なのはやはり旅行社。
住所も地図も説明もウソだらけで、あいつ等は真剣に死んだ方がいいと思った。
先程詳しく分析したところ、
旅行社は代理店なので、住所などはGoogle地図情報を使用しているらしいことがわかった。
つまり、Googleチャイナ(?)が住所も地図も誤って登録していた、ということになろう。
Googleが犯人!まさかの展開に、何から何まで信用できない国家だなとシミジミ感じました。
皆さん、僕に同意して頂けるならば、腹いせとしてGoogleツールバーをアンインストールしちゃってください(笑)
迷子の足あと。(見てもようわからんと思うけど)